Tuesday, 19 September 2017

植民地期台湾に生まれた「湾生」のおばあちゃんに話を聞く―歴史のかなしさ、おもしろさ

もう一ヵ月経ってしまったが、お盆の間、恋人氏の実家にお邪魔した際に、彼の母方のおばあちゃんに初めてお会いした。おばあちゃんは日本植民地期の台湾で1930年代に生まれ、その後12年間を新竹や台中で過ごした「湾生」の一人だ。以前からおばあちゃんが台湾に暮らしたことがあるということ、おばあちゃんの妹さんが台湾で生まれたということを恋人のお母さんづてに聞いていたのだが、直接会ってお話を聞くことができたのはこれが初めてだった。現在は老人養護施設に住まわれており、車椅子での生活を余儀なくされている様子ではあるけれども、はきはきとした様子でご自身の記憶について語ってくださった。その貴重なお話について、まとめておきたい。

おばあちゃんの話では1945年の終戦時に12歳であったとのことなので、おそらく生まれたのが1933年のことと考えられる。当時、父は台湾鉄道の駅員をしており、母もまた駅で切符を切る仕事をしていた。おばあちゃんは7人兄弟の4番目に生まれた。印象的だった記憶について尋ねると、当時住んでいた官舎が立派なもので、敷地の入口には門がわりに二本のパパイヤの木が立っており、玄関までの通り道に白い花が植えてあったという。おばあちゃんが生まれたのは新竹駅の隣にある駅だそう。現在だと北新竹駅、三姓橋駅が両隣にあたるけれど、当時はどのあたりだったのか、ちょっと調べてみないと分からない。

本島人との関わりはありましたか?という質問に対して、彼らのことは「生蕃」と呼んでいて、滅多に見ることはないが、生蕃の親子がときおり山から下りて来るのを好奇心で見に行ったりしたという。おばあちゃんの中で「本島人」というと、「生蕃」つまり原住民が真っ先に思い浮かぶらしい(実際は漢族系の住民も含めて本島人と呼んでいたはずなんだけど)。学校ではクラスに2、3人くらいいたというが、それは漢族系の住民のことか、原住民のことかは分からない。彼らとの関わりは薄かったか、記憶に乏しいようで、それ以上詳しい話は出てこない。

私は本島人の人が日本語で書いた小説を読んだことがあるんですよ、と話してみると、私もそういえば一つだけ、本島人の物語を覚えている、という。聞くと、本島の女の子が橋を渡ろうとするときに、氾濫する川に流されて亡くなってしまうという話だ。聞き覚えのある話、そうだ李香蘭が主演で映画化したやつじゃなかったかと思い後で調べてみるとビンゴ、1943年7月公開の『サヨンの鐘』だ。これは実話が元になっていて、1938年に村に赴任していた日本人巡査の出征を見送る際、荷物を運んでいたサヨンという女の子が橋で足を滑らして落ちて亡くなったという出来事。ざっくり言えば、これが愛国美談として語られるようになり、西條八十作詞・古賀政男作曲の歌謡曲にもなり、映画にまでなったという流れ。1938年というと、おばあちゃんは8歳前後だったと思われ、実際に起きた事故をリアルタイムで耳にしたり、その後も歌や映画を見聞きしたりした可能性が大いにある。そういう歌がありましたよねと言ってみると、そういえばあった、思い出せそうで思い出せない、と話してた。なんだか誘導尋問みたいになってしまって、インタビューの難しさを感じる。そうこうしているうちにおばあちゃんがある曲を思い出したといって鼻歌を口ずさんだ。曲名をたずねると「ホーリー…」なんちゃらとかで、もしやと思い「何日君再来ですか?」と漢字を見せてみるとこれだ!と。この曲は1937年、上海の歌手・周璇が歌ってヒットした流行歌。後にテレサテンも歌っていて日本でも比較的馴染みがある曲だと思う。なるほど、「サヨンの鐘」と言い「何日君再来」と言い、おばあちゃんの記憶に残る台湾での少女時代に、時期的にはぴったり重なるし、「何日君再来」に至っては中国大陸でヒットしたのが始まりだけれども、それが台湾でもよく聴かれていた、流行していたことを思わせるエピソードだ。

話が進むうちに、同席していたおばあちゃんのご家族、つまり私の恋人である孫とその弟くん、そしておばあちゃんにとっては娘にあたる恋人氏のお母さんも、こんな風に詳しい話は今まで聞けたことがなかったといって興味津々に。そして、そもそもなぜおばあちゃんの両親は台湾へ渡ったのだろう、という話に。

おばあちゃんによると、母親の叔母にあたる人が先に台湾の基隆にある呉服店で働いていたのだそう。母は九州小倉の出身で、自立志向というか外向き志向というか、田舎を出て働きたいという思いを持った人であったことから、叔母のつてを頼りにその呉服店に働きに出たのだそうな。後で調べてみるとこれまたおもしろく、実に基隆には「岸田呉服店」という呉服店が存在し、その建物の面影は今も残されている(フェイスブック関連ページ)。基隆で呉服屋というとここ一軒、つまりおばあちゃんの母、そして母の叔母が働いていたのはこの「岸田呉服店」とみてほぼ間違いない。おばあちゃんの話では、店では松坂屋の品物を扱っており、本島人を雇っていたが、買いに来るのは皆日本人であったとのこと。

一方の父親に関してはあまり詳しく聞けなかったのだが、鹿児島の加治木出身で、当時の「若者は外に出よう」という風潮の中で台湾にやってきたのだという。台湾鉄道で働き、その後、ちょうど呉服店をやめて切符のもぎりの仕事をしていたおばあちゃんの母親と出会い、結婚した。母は出産後に仕事をやめている。おばあちゃんによると、母親はすらっとして、はきはきした物言いの、忍耐強い人だったという。

そもそもおばあちゃんとお話するに至ったきっかけには、恋人のお母さんも驚きながら教えてくれた不思議な縁がある。おばあちゃんは1945年の8月15日の終戦を機に、その後多くの台湾に住んでいた日本人同様、引揚船に乗って日本へ引き揚げていくことになる。そのおばあちゃんを乗せた引揚船が到着した場所が、私の生まれ故郷の和歌山・田辺だったのだ。そのことについてもおばあちゃんに聞いてみたかった。

当初、おばあちゃんたちを乗せた引揚船は鹿児島の港に到着する予定だった。ところが、船内に胃腸の病気を患っている人がいて寄港できず、田辺まで移動することになったそうだ。確か田辺の引揚者回想記をまとめた資料の中にも似た話があったはずなので後で確認したいのだが、船内で感染症か何かが流行ったせいで寄港を拒否されて最終的に田辺港になったとか。鹿児島の港に着いていれば実家も近かっただろうに、おばあちゃんは田辺に降り立ち、幸か不幸か、そこから九州に行くまでの間、汽車の窓から空襲で焼け野原になった街や、原爆の被害を受けた広島を目にする機会を得た。田辺港では地元の人にあたたかく接してもらったとのこと。港に着いてもなかなか下船できないので、コーリャンで炊いたご飯がボートで運ばれてきて引揚船内でそれを食べたという。赤かったのでたぶんコーリャンだとのこと。赤飯?とも思ったけど、赤飯ではないと。確かに、食糧難だったろうし、赤飯なんてあるわけないよな。とりあえず、おばあちゃんたち一家は無事日本に辿り着いた。おばあちゃんにとっては、ある意味、未知の国であったはずだ。

引揚時の話で、印象深いエピソードがあった。当時、植民地台湾で使っていたお金は日本でも使えるという話を聞いた一家は、枕や布団といった布製品の裏にお札を隠し、引揚船の乗り場に向かった。しかし、乗り場には戦勝国となった中国国民党の軍隊がいて、船に乗る日本人の持ち物を厳しく検査していた。もし金品を隠し持っているのがバレれば、その人や家族だけでなく、同じタイミングで乗船する予定だったグループの人たち全員が後に回されることになり、その分、帰国が遅れてしまうのだった。銃剣を持ったいかめしい国民党軍につかまるのも怖いということで、おばあちゃんたちは泣く泣く、隠していたお金を海に捨てることにした。五十銭紙幣がひらひらと舞い、海に落ちていく光景を、おばあちゃんは悔しさと悲しさから、今もありありと思い出されて忘れられないのだと話した。

おばあちゃんにとっては、台湾での少女時代は基本的には楽しかった思い出として残っているようで、話を聞く限りでは、おそらく帰国後の生活が何よりも苦労の連続であったのだろう。九州に戻ってからもしばらくはいろいろな事情で家族が一緒に住めず、おばあちゃんは家計を助けるために山に魚を売りに行く行商の仕事をするなど、とにかく大変だったそうだ。父は国営野井倉開墾事業所で水田事業に関わったそう。おばあちゃんの話では、戦時中には朝鮮から人を集めて飛行場を作ろうとしていた場所で、戦後はそこに水田を作ろうとしていたのだという。九州農政局のサイトによると「昭和19年、戦況の悪化により野井台地に海軍飛行場が設置されることになり…」とあるのでこのことだろう。さすがに朝鮮から人を集めなどとまでは記載がないが、実際にあったとしてもおかしくなさそうだ。

さて、つらつらと書いてしまったが、今回おばあちゃんから聞けたお話は、だいたいこんな内容である。これまで台湾研究を多少は齧ってきた人間なので、本や何かで記録として、これらの歴史に触れることはあった。けれども今回、実際にその時代を生きてきた人から話を聞くことができて、非常に心がアツくなったし、歴史というものがふいに重力を帯びて目の前に立ち現れたかのように思えた。記憶を絞り出そうと目を細めながら少しずつ語ってくれるおばあちゃんの姿が印象的で、私はいつまででも話をしていたいと思ったのだけれど、おばあちゃんも今はそうお若くはなく、施設で暮らしていらっしゃるし、体力的にも、面会時間的にも限りがある。次に会えるのはいつになるか分からないけれども、また会いに行きたい。

最後にもう一つ!

話の中で、おばあちゃんは戦後、蒋介石がいたから台湾は大丈夫だった、みたいなことを言ってて興味深かった。大丈夫ってのはおそらく、毛沢東は中国大陸で文化大革命をやって悲惨な結果を出したから、台湾はそうならなくて良かった、って意味だと思うんだけど、その認識からは蒋介石と国民党政権の台湾支配がもたらした悲劇がすっかり抜け落ちている。二・二八事件、白色テロ…私自身は日本による植民地支配を美化するつもりはさらっさらないのだが、植民地期を生きた台湾の日本語世代からすれば、1945年以降の国民党政権下での悲しい記憶から、日本へのノスタルジーを抱き、植民地支配の美化をせずにいられない気持ちは否定できない。その一方で、台湾に生まれた日本にルーツをもつ「湾生」の一人であるおばあちゃんが、「台湾には蒋介石がいたからよかった」というような認識を持っていることになにか皮肉を感じてしまう。数年前、台湾でお会いする機会のあった白色テロの被害者でもある蔡焜霖さんのことを思い出す。また、二・二八記念館でずっと日本語ボランティアをされている簫錦文さんのことも。「日本はどうして我々を見捨てたのか」と問いかける彼らに対して、彼らと同世代の日本人はこれまで何も返事を返さなかったどころか、認識が完全にすれ違っていたのかと。

―「どうして日本は台湾を見捨てたのか?」
―「いや、台湾はよかったじゃない、蒋介石がいて」

戦後、日本人も生きるのに必死だった。分かる。分かりたい。そういうのを差し引いても、これじゃあなんだか悲しすぎやしませんか。おばあちゃんたちを責めたいわけでもなんでもない。じゃあどうするか。どうするかね。

Friday, 28 July 2017

《戀愛沙塵暴》の感想など。

今さらながら《戀愛沙塵暴》を観た。
勘違い、すれ違い、不信感…家族や友人、恋人との関係上にある綻びが、小さなきっかけで大きな裂け目になる。でもそれが、関係を修復するための、あるいは見直すための、大切なきっかけともなる。林一家のそれぞれが経験する、恋愛に絡む成長物語?という感じだった。

スローモーション取り入れたり照明を急に変えたり、非現実的な映像交えたり、演出が適度に奇抜でおもしろかったのもあるけど、それに合わせて俳優陣の演技もキレッキレで退屈しない。林家の長男・林亦得を演じたのは安定の吳慷仁。愛想を振りまいて機嫌をとるのがうまいけど、ここぞというときに大事なことをはっきりと相手に伝えられない。そのせいでわがままと束縛を繰り返す恋人の言うがままにされて挙句に仕事を失う情けない役柄。その“お姫様症候群”の恋人役をする葉星辰の演技もキョーレツ。背後から亦得にスタンガンを浴びせる時の狂気じみた笑み。彼女にはしたくないし、自分もああいう人間にはなりたくないけど、自らの欲望を曲げることなく直球でぶつけてくる強さは少しくらい見習ってもいいかもしれない。

一番気になったのは長女・林亦珊と莊浩洋の恋。友情か愛情かで躊躇せず友情を選んでしまう純粋さ。だからといって恋心をなかったことにできるはずもなく苦しい。葛藤する役どころを演じたのは新人の陳妤という女優さん。相手役も新人だそうで許光漢という。撮影中のおまけ映像では、監督から演技指導を受ける陳妤の姿を見た。初々しいようで情熱的な演技をするなあと思った。中国語で言う「一夜情」は「一夜限りの恋」とか「(思いがけず)一夜を共にする」といった意味合い。最近よく台湾ドラマで耳にするような気がするけど、この二人も「一夜情」から始まった恋。現実ではあり得なさそうな筋書きもドラマだとなんか運命的な出会いとしてまとまってしまうからすごい。浮気常習犯だった浩洋から親友を守ろうと、敵対心を抱いていたはずが、ハプニングを経て気持ちを持ってかれる、その過程での二人のやりとりに不覚にも胸キュンしまくった。普段からラブコメの胸キュントラップ(と勝手に呼んでいる)をバカにしているのに、まんまとハマる。

ドラマは観客の観たいものをみせるものが必ずしもいいドラマだとは言えないと思っているけど、痒いところを掻いてくれるかのように、そうなってほしいと思っている通りに話が進んでくれると、それはそれでやっぱり気持ちがいい。たまにはそういう作品を観て息抜きにするのもありだ。前半でこれでもかというくらい家族同士が、夫婦同士がすれ違いを重ねる、その歯がゆさが後半でずばずばっと解決されていく、気持のよさ。

この流れでYoutubeにある吳慷仁のインタビュー動画を観ていた。今まで知らなかったが、中学生のころから働き始めて、10代のころにいくつもの仕事を経験したとかで、苦労していたみたいだ。俳優の苦労話を美談にしたいわけではなく、ここ数年、台湾の映画、ドラマ界でもてはやされている、普段見ている映像の中の彼からは想像がつかなかったので、少し驚いた。鳶の仕事をしてて足の裏に釘が刺さったこともあったとか。釘を抜くと血が弧を描いて噴き出したって笑いながら話してた。それから台北でバーテンダーをやって、俳優に。(確か向井理もバーで働いててスカウトされたんじゃなかったか?)今自分が迷いながら仕事を探している身なので、こういう迷う暇もなく働くしかなかったとか、そうこうしている間にいろんなことやってたとかで、おもしろい経歴している人にはとりわけ興味が湧く。さて自分はこれからどうするのだろうか。台湾ドラマばかり観ていていいのだろうか。


Friday, 14 July 2017

看完《花甲男孩轉大人》之後想到自己家人的事

以下原本我想寫電視劇的事情,但後來發現寫出來的都是自己的故事。

我也像阿甲一樣有養我長大的外婆,儘管這幾年我很少回老家看她,她還是一直在乎我,偶爾給我打電話來問我最近好不好,有沒有缺錢,工作會不會太辛苦等等。我非常感謝她這麼多年,我離家已經幾年了也依然不變的對我的愛情。但是坦白地說,有時候不想接她的電話,是因為她除了問我好不好之外,她還跟我說母親的壞話。

我媽和外婆之間,不曉得甚麼時候開始,從誰先開始,總是彼此討厭,甚至外婆說「你媽連一句話都不願跟我聊,也不願讓我吃飯」。我媽也因這件事而受精神上的壓力,加上她長期患有憂鬱症,所以我知道事實不一定是外婆說的那樣。她們母女之間似乎有解不了的糾結,其中也一定有一些誤會,才變成現在這樣。其實我和母親的關係也不好,但至少關於這件她們之間的事,我很同情我媽。不過我也沒辦法解決她們之間的問題,又不想每次每次都聽外婆電話裡說的真真假假罵人話。簡直說我根本不想理他們。

因此,這幾年我都不願意給外婆打電話或者去找她。而現在,我把這部電視劇看完之後,想到我也早晚得面對這種離別,不管外婆和母親的關係如何,我是否該到時之前好好向外婆表達愛意和感謝,同時好好處理家庭的問題。我很羨慕阿甲的家庭。他們互相有矛盾,但確實也有愛情的存在,我們在戲劇裡能感受到這種愛,所以不禁流著眼淚感動。可是我覺得不一定是每個家庭能夠像他們一樣成功打破彼此間的牆壁,去理解對方,迎接圓滿的結局。

我總是從家人的問題逃避的。我也有點像阿亮一樣,總有被家人逼演模範生的感覺。我在學校的成績好,老師的評價也不錯,但我心裡想這根本不是自己想要的自己,而是家人希望的女兒的樣子。小時候對我來說,我唸書唸好是為了獲得母親的承認。可是離家以後我再也不想回應家人對我的期待,反而有時候傻傻地想,我工作越不順利越好,我這輩子沒出息就好,這樣才能讓他們失望,很爽。(我知道我這樣想的不對,這是我偶爾遇到困難或失敗成灰心沮喪的時候才想的。)總之,我認為家人對我的嚴格要求和被母親控制的童年時期的經驗影響到我的個性,讓我變成常常不知道自己想要做甚麼,不能決定自己的未來,很猶豫下決心的人。

這種想法到底對不對?我其實同時認為,把家庭環境拿來講自己的個性、趨向怎樣,是有點不成熟,缺乏對自己人生的責任感的舉止。精神上脆弱的部分,當然是受過多少有一點家庭環境的影響而被形成的,但或者改變或者不改變這些自己的缺點,是無法靠別人,只能靠自己來搞清楚。在我心裡,這兩種想法都還留著,這就證明我也還轉不了大人。

以上寫的感覺跟那部電視劇幾乎沒有關係。不過我想到,我喜歡看台灣的電視劇,也許是因為在其中能享受到自己沒能得到的家庭溫暖、父母的愛情、孩子對父母的信任。

盧廣仲の出演作、《花甲男孩轉大人》を観た

盧廣仲も出演したドラマ《花甲男孩轉大人》をネットで全話観ました。ほぼ台湾語のセリフで、台湾語聴きながら中文字幕を追いかけるのに必死で耳も目も忙しかった。

ざっくりあらすじ。

一家のおばあちゃんが危篤状態になったことをきっかけに、5人兄妹の子どもや孫たちが実家に戻る。生死の境をさまようおばあちゃんをよそに、遺産相続をめぐってもめる次男と三男。それに辟易していながらも次男の言うなりにしかできない長男。息子を失った悲しみからいつまでも逃れられない四男。いつまでも未婚であることを責められる末っ子の長女。加えて彼らの子ども、つまりおばあちゃんにとっての4人の孫たちも何かとワケありだ。いつまでも大学を卒業できない花甲、家出したまま行方知れずの阿慧、若くして一児のパパで檳榔中毒の花明、優等生として育てられたがデキ婚間際で不審な行動を見せる花亮。

バラエティ豊かな登場人物の、様々な思惑が交差する中、おばあちゃんの死を看取ろうと親族が集まったその懐かしいふるさとの「家」で、彼らはむしろ、それまで目を背けてきた親子の関係や愛する人の心の傷に、向き合うことになる。

人はいつになれば大人になったと言えるのだろう。主人公の花甲は、もう何年も留年し続けて、自分が本当にやりたいことが何なのか定められないまま、流れに抗えず父親の跡を継ごうとする。物語の中で、子どもが大人になるまでのモラトリアムの象徴として描かれているのが彼だ。同じ世代の自分としても、決断を促される時の、あのもやもやとした感覚や、友人が彼に投げかける「神様が言ったからそうするのか?自分はどうなんだ?」といった言葉が痛くめり込んでくるのを感じながら観ていた。

自分の将来を自分で決めて、その決断に責任が持てるようになった時、人は大人になったと言えるのだろうか。自分の愛する人と結婚して家庭を持ち、職を得て働き、見かけにはれっきとした「大人」と言えるかも知れない。でもいつの間にか、自身の成功のことしか考えず、自らに非はないと信じ、周りの人間を思いやれない傲慢な人間になっていないだろうか。あるいは、過去の辛い記憶や後悔の中に己を閉じ込め、未来に目を向ける勇気を持てない臆病者になっていないだろうか。そうした人たちのことを、胸を張って「大人」だと呼ぶことができるだろうか。

ドラマの登場人物を見ていると、花甲よりもはるか年上の彼らが、大人どころかひどく情けない人間に映ることがある。「大人」というのは、蛹が蝶になるように、ある瞬間からそうなって二度と元には戻らないというよりも、一時的な状態のこと表す言葉に近いのだろう。人は常に大人と子どもを両極とするグラデーションの中で生きていくのかもしれない。

このドラマは花甲をはじめとする若い世代の成長物語でもあり、彼をとりまく年長者たちが生き方を再び見直し、模索する物語でもある。それぞれの人物の物語を最終的にちゃんと回収しようとしているあたり、脚本も演出もスゲ〜な〜と思いながら見ていた。それに、盧廣仲が俳優やるなんて大丈夫かよ?!と心配したものだが、意外にも自然体の演技が程よく、見ていて違和感なく鄭花甲という人物を受け入れることができた。それも監督の腕なのかしら、と思ったり、逆に普段から俳優をやりなれていない彼だからこそ、鄭花甲という純粋で善良な、愛嬌のあるおばあちゃん子を演じることができたのかなとも。とはいえ、」彼が最も才能を発揮しているのはやはり、挿入歌やBGMの部分だな。

台湾語で郷土もののドラマというと、アクが強かったり演技が大袈裟だったりドロドロしすぎてたりして、日本語ネイティブの私からするといつもあんまり観る気が起きないし続かない。でもこのドラマは観やすかったです。これを機に台湾語の勉強にも力を入れたい。

Wednesday, 31 May 2017

李千娜という歌手/女優、そしてChloe

先日、吳慷仁のことを書いたのだが、一つ書き忘れたことを思い出した。彼の出演作で「迷徒-Chloe-」(2016年、監督:曾敬懿)というドラマも結構おもしろかった。主演は最近話題になった「通靈少女」にも出演、主題歌を歌っていた李千娜。さらに劉以豪も登場。吳慷仁は李千娜演じるChloeの昔の恋人役。

番組プロデューサーであるChloeはバンドマンのRex(劉以豪)の演奏に惚れ込み、彼を起用してミュージシャンの生き方に迫る音楽番組を製作しようとする。しかし上司は名もない彼を取り上げることに反対。話題性を理由に有名なピアニスト・汪士棋(吳慷仁)を呼び、Rexと共演させることに。番組制作の過程で、RexとChloeは互いに好意を抱くようになるが、一方でChloeは汪士棋との間に過去のわだかまりを抱えたまま。それは次第にRexとの関係、さらに番組の進行自体にも支障をきたし始める。Chloeの心には罪にも似た重たい過去の記憶がのしかかっていた…

中国語で「第三者」とか「小三」というと、“浮気相手”やカップル、夫婦の間に割って入ろうとする“邪魔者”的な立ち位置の人を指す。Chloeと汪士棋が付き合っていた頃、汪には実は妻と子供がいた。奥さんから見ればChloeは「小三」だったわけだ。夫から別れを切り出された時、妻は憔悴して精神を病み、娘を残して自殺してしまう。Chloeはそのことで悔やみ、自分を責め続け、汪との関係も断ち切った。にも関わらず!未練タラタラの汪が番組に関わることになり、まだ気がある様子で絡んでくるし、Chloeはまだ癒えていない傷口に塩を塗られるような思い。そのせいでRexとのコミュニケーションもうまくいかない。

つまりは、不倫をしてその行為によって人を殺してしまったという罪の意識、そのような行為をした自分にはもはや愛情を求める資格などないという臆病な思い込み(正確には、おそらくそう自分に言い聞かせることで、罪の重さを軽くしようとしている)に苛まれて道を見失っている(「迷徒」)女性Chloeの物語だ。そしてそんな彼女が過去を乗り越えることができるのか、どんな答えを出すのか、というのが最終的な見どころになってくる。

そんなChloeを演じる李千娜の経歴が興味深い。父親はドラマー、母親は歌手、祖母は歌仔戲、叔父は布袋戲をやっている芸能一家に生まれる。両親の離婚後、父と共に南部に移り住み、父は南投で歌劇団をしていた(娘の名前を歌劇団の名前にしたらしく、李千娜は子供のころ恥ずかしくて仕方がなかったとのこと)。素質があったみたいだが、テレビのコンテスト形式の歌番組に素人として参加して、そこから歌手デビューを果たす。その後は映画『茱麗葉Juliets』に出演したことで、歌手としてよりも女優として一躍有名になる。今では歌手も女優もこなす。

「歌手である私は李千娜自身で、私の人生の物語を語っています。俳優である私は違う人生を体験していて、他人の人生の物語を演じているんです。」(元記事リンク

李千娜の曲を聴いていると、昔のも最近のも、浮気とか友達に恋人を取られるとか、「小三」に関わる歌詞が多いような気がする。下世話なことだが、過去に恋人に裏切られたとか、とりわけ彼女の生き方や考え方を形づける大きな経験があったのかなと憶測してしまう。あるいはレコード会社の売り出し方?

MVに吳慷仁が出ている曲《說實話(本当のこと)》
このMVのストーリーも同様で、恋人と友人が浮気していたことを知って「本当のことを話すのがそんなに難しい?」と恋人に詰め寄るシーンがある。自分にも他人にも正直でありたいという彼女の切実な思いに溢れた曲だ。(個人的には恋をしてしまえば正直もへったくれもないという考え方ですが。)