Thursday, 30 August 2012

語りと、歌と、デモクラシーと。

台湾に来て約二週間。
毎回異なる色を見せてくれるこの国に戸惑いと親しみを抱く。
真面目にいろいろ考えてたけどいたって平凡な考えしかでてこなかった。


スタディーツアーに参加していろんな背景をもった人に話を聞いた。
みなさん、台湾の歴史をそれぞれの角度から語り、
あるいは自分自身の現在行っている活動について紹介してくれた。


一番心に残っているのは、白色テロで投獄された経験のある蔡さんの話。
彼は高校二年の時に参加した読書会が「赤」寄りの内容だったがためにその後、
公務員として働きだしてからある日急に逮捕された。


理由は些細なことでいい、
すこしでも「赤」、「左翼」、「共産主義」に触れていれば牢屋行きになってしまう時代。
あとは蒋介石の気分次第でその人の命の重さが決められてしまうことだってあったという。
(景美人権博物館では、刑期の短かった受難者に対して蒋介石自ら
 判決文に赤で判決の取り消しを書き加えたものがある。
 そこには「なぜこいつを死刑にしないか」と書かれてありました。)

蔡さんは監獄で多くの仲間たち(受難者)の死を見送ったと話していました。

校長先生をしていた人がいて、彼を、奥さんとの思い出の歌を歌って送り出してあげたこと。
「ダニーボーイ」という曲を歌ってほしいと言った隣の監獄の青年と、お礼の握手を交わしたとき
その青年の手の爪がすべて剥がされていてなかったこと。
そして彼は大陸からやってきていた留学生で、故郷に母を残したまま、帰らぬ人となったこと。


彼の壮絶な監獄生活と、そこで巡り合った人々との物語を、
わたしは忘れることができないと思いました。
そしてなによりも、その物語の節々に「歌」が添えられていることは
わたしにとって非常に印象深く、悲しみと憤りを倍増させるものだった。
蔡さんの友人の中には、中華人民共和国の現国歌である「義勇軍行進曲」を歌っていた
(楽譜を持っていた?)り、歌詞を引用したりしたことで捕まって殺された人もいたそう。
歌さえも自由に歌うことが許されなかった時代。



白色テロはこれまでたくさんの人が研究して、
たくさんの人の口で語られようとしたテーマではあると思うけど、
直接の体験者が語るように聴き手の「身体」に迫るものは現場にしかないなあと。
けれど、だからといって語らないわけにもいかなくって。
蔡さんのような直接の体験者はいずれこの世を去ってしまう。
そのとき、だれが蔡さんたちの記憶や思いを引き継げるのか。
そもそも引き継ぐことなんてできるのか。
「白色テロ」「二・二八事件」というのが「過去」の出来事で、
「現在」の私たちの生活とは関係のないものだという風になってしまうのはいけないんだよな。
こんな「過去」がある、それが「現在」にこう繋がっている、
そんな風なことを考えながら、語ることができたら。
一人一人の人間の命が歴史を繋いでるんだなあって、実感。



そもそもスタディーツアーのテーマは「民主化」で、
それにかかわる台湾の昨今の問題を、10日間で考えてきた。
行政側が偽の証拠をでっちあげ、
先住民から土地をだまし取り、コンクリート会社にそこを使わせ、
悪質な環境破壊を見て見ぬふりしているような現場にも立ち会った。
核廃棄物処理場の建設のために、政府や関係者が大金を渡して
賛成を得ようとしているという話も聞いた。
そもそも、台湾では全発電量の20%以上が余剰しているにも拘らず、
原発推進中で2016年には核四の運転開始を予定しているらしい。
日本と同じようなところもあるし、違うこともあるけど、問題は共通しているんだなあ。



土地を奪われた人は、勝ち目がなくても訴え続けていた。ずっと夫婦で活動しているひと。
完全に行政側の権力が法をも覆している中で、
その残された生涯のすべてを、裁判にかけている。
ある村の牧師は、対等に交渉する権利を主張し、
政府の金に頼らず自分たちの頭を使って村の経済を育てようとしていた。
「正義」ってなんなんだろう。(大真面目)



台北の夜は、今日もとびきり長くて困る。