Wednesday 20 November 2013

バス停について

バス停でバスを待っている時間が好きだ。
台北のバスは便が多くて、種類も豊富。
自分の乗りたいバスが来るまで、いらいらする日もあれば、わくわくする日もある。
わくわくの日はたまらない、ただ自分を大学まで乗せるだけのバスなのに、
どこか研究もバイトも先生もいない解放された世界へ連れて行ってくれるような
そんな感覚を抱かせるほどの瞬間がある。
頭の淵では分かっている、それは大学までのバス。

今日は繁華街、市政府のバス停でバスを待っていた。
ひときわ人の多いバス停だ。西門町や公館もものすごいが、負けてない。
でも西門町や公館のバス停は狭いし道路の真ん中にあるからなんとなく恐い。
そして人だかりでやってくるバスの番号が見えづらいからあまり好きじゃない。
で、市政府のバス停。
ここは人が立って待つスペースが広いし、道路の脇にあるから好きだ。
やってくるバスの番号も見やすい。
今日ぼんやりとMP3を聴きながら待っていたら、
隣にちょこんと立っていたおばあちゃんに話しかけられた。
しばらく話しかけられた自覚がなくて、数秒ほどぱくぱくするおばあちゃんの
口元をじっと見つめた後で、やっと耳のイヤホンを外して声を聞いた。
「947嗎?」
おばあちゃんは、向こうからやってくるバスの番号がよく見えなかったらしい。
あるいは自分の衰えた視力に自信がなかったのか、わたしに確認しようとしたのだ。
その時、このおばあちゃんがちゃんと正しいバスに乗って家に帰れるかどうかは
このわたしにかかっているんだ、という責任感がふっと湧いてきて、
急にしゃきっとしてわたしは何度も「947だよ」「あれは947だよ」と
おばあちゃんに答えた。
947が、おばあちゃんを連れて帰ってくれるバスなんだよね?

おばあちゃんは納得して、947に乗って行った。乗って、たぶん、帰っていった。

いつか、バス停でのバスの待ち方に人の性格が表れる、
といった言葉を聞いたことがあるようなないような気がする。
でも時間が切羽詰っていたら誰だっていらいらしてんじゃないのか。
切羽詰っていてもいらいらせず、わくわくしながらバスを待っている人、
そんな人がいたら、わたしは好きになってしまうかもしれない。
などと考えながら粽18に乗って帰ってきた、夜。冷える。

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