Friday, 10 February 2017

2月5日、横浜にて。

先日、友人夫婦の結婚式に参加した。

この二人が結婚式をするとは、少し予想外だったのだが、察するに両家ご両親からのプレッシャーがあったのだろう。でもそれだけでもないようで、新郎は最後の短いスピーチで、結婚式を準備する過程で新郎自身が見出した“結婚式をする理由”を語ってくれた。自分たち二人には、これから先どんな人生が待っているか分からない。幸多きことを望むは当然だが、二人のうちどちらかが―特に新郎が思うところでは自分自身が―もう一人を残して死んでしまうようなことがあるかもしれない。そうなってしまったときに、残された人を支えてくれる親しい友人たちの存在が、必要不可欠になるだろうと。だから、二人に何が起きたとしても、どうか末永く見守っていてほしいし、困ったときには、ここにいる皆とお互い救いの手を差し出しあいたいと、この場を借りて伝えたいのだと。

こうやって書いてみると、私の貧相な文章力ではその場でスピーチを聞いた時の感動が伝わり切らないと思うのだが、私は胸を打たれてしまい。気づいたら涙がちょちょぎれていた。そんなことを言いそうにない人だったから余計かもしれないが、私自身もそこで気づいたことがあったのだ。大切な友人の結婚式というのは、彼ら二人だけのものではないのだなということ。その結婚式は、私と彼らの結婚式でもあったのである。かなり語弊のある言い方をしてしまったのだが、もう、あの場にいた人たちは、みんなあの夫婦の人生に良くも悪くも巻き込まれているのだ。二人はあの場で夫婦の契りを交わし、私たちとあの二人は、友情の契りを交わした。そんな気がしたのだった。

損得勘定なしで付き合える友人というのは得難く、いれば幸福だ。普段から見返りを求めて何かをするわけではないが、その時々で、困っていれば助けたいと思うし、困っていたら助けてくれるような。そして時折、楽しいことを分かち合えるような。恐縮ながら、あの日私は、そんな友愛に満ちた関係を一つ結ぶことができたように思えて、改めて祝福と感動を覚えたのでした。