Friday 14 July 2017

盧廣仲の出演作、《花甲男孩轉大人》を観た

盧廣仲も出演したドラマ《花甲男孩轉大人》をネットで全話観ました。ほぼ台湾語のセリフで、台湾語聴きながら中文字幕を追いかけるのに必死で耳も目も忙しかった。

ざっくりあらすじ。

一家のおばあちゃんが危篤状態になったことをきっかけに、5人兄妹の子どもや孫たちが実家に戻る。生死の境をさまようおばあちゃんをよそに、遺産相続をめぐってもめる次男と三男。それに辟易していながらも次男の言うなりにしかできない長男。息子を失った悲しみからいつまでも逃れられない四男。いつまでも未婚であることを責められる末っ子の長女。加えて彼らの子ども、つまりおばあちゃんにとっての4人の孫たちも何かとワケありだ。いつまでも大学を卒業できない花甲、家出したまま行方知れずの阿慧、若くして一児のパパで檳榔中毒の花明、優等生として育てられたがデキ婚間際で不審な行動を見せる花亮。

バラエティ豊かな登場人物の、様々な思惑が交差する中、おばあちゃんの死を看取ろうと親族が集まったその懐かしいふるさとの「家」で、彼らはむしろ、それまで目を背けてきた親子の関係や愛する人の心の傷に、向き合うことになる。

人はいつになれば大人になったと言えるのだろう。主人公の花甲は、もう何年も留年し続けて、自分が本当にやりたいことが何なのか定められないまま、流れに抗えず父親の跡を継ごうとする。物語の中で、子どもが大人になるまでのモラトリアムの象徴として描かれているのが彼だ。同じ世代の自分としても、決断を促される時の、あのもやもやとした感覚や、友人が彼に投げかける「神様が言ったからそうするのか?自分はどうなんだ?」といった言葉が痛くめり込んでくるのを感じながら観ていた。

自分の将来を自分で決めて、その決断に責任が持てるようになった時、人は大人になったと言えるのだろうか。自分の愛する人と結婚して家庭を持ち、職を得て働き、見かけにはれっきとした「大人」と言えるかも知れない。でもいつの間にか、自身の成功のことしか考えず、自らに非はないと信じ、周りの人間を思いやれない傲慢な人間になっていないだろうか。あるいは、過去の辛い記憶や後悔の中に己を閉じ込め、未来に目を向ける勇気を持てない臆病者になっていないだろうか。そうした人たちのことを、胸を張って「大人」だと呼ぶことができるだろうか。

ドラマの登場人物を見ていると、花甲よりもはるか年上の彼らが、大人どころかひどく情けない人間に映ることがある。「大人」というのは、蛹が蝶になるように、ある瞬間からそうなって二度と元には戻らないというよりも、一時的な状態のこと表す言葉に近いのだろう。人は常に大人と子どもを両極とするグラデーションの中で生きていくのかもしれない。

このドラマは花甲をはじめとする若い世代の成長物語でもあり、彼をとりまく年長者たちが生き方を再び見直し、模索する物語でもある。それぞれの人物の物語を最終的にちゃんと回収しようとしているあたり、脚本も演出もスゲ〜な〜と思いながら見ていた。それに、盧廣仲が俳優やるなんて大丈夫かよ?!と心配したものだが、意外にも自然体の演技が程よく、見ていて違和感なく鄭花甲という人物を受け入れることができた。それも監督の腕なのかしら、と思ったり、逆に普段から俳優をやりなれていない彼だからこそ、鄭花甲という純粋で善良な、愛嬌のあるおばあちゃん子を演じることができたのかなとも。とはいえ、」彼が最も才能を発揮しているのはやはり、挿入歌やBGMの部分だな。

台湾語で郷土もののドラマというと、アクが強かったり演技が大袈裟だったりドロドロしすぎてたりして、日本語ネイティブの私からするといつもあんまり観る気が起きないし続かない。でもこのドラマは観やすかったです。これを機に台湾語の勉強にも力を入れたい。

No comments:

Post a Comment